彼の名前はハンコ。可愛くてやんちゃな男の子です。東京の弟のところには2匹の猫がいる。 手のひらサイズの頃から知っている。 ハンコは、誰にもあまり懐かず弟が親なので彼にしか甘えず、私にはひたすら噛んだり引っ掻いたり。 弟を二人暮らしの頃、私の腕は悲惨なことになってた。 もう長野へ行ってからは、たまに、本当にたまにしか帰らないので、私のことを忘れてしまっているみたい。 最初は本当に別れるのが悲しくて、東京に帰るたびにまた長野に戻る日が来るたびにぎゅーっと心が掴まれる思いだった。 でも今は、そんな感情にもなれたのか、というか諦めた方が正しくて、たまーーにご飯あげる人として私は振舞っている。 もう1匹は女の子でソナという。2匹合わせてハンソナと私と弟は呼んでいる。 やっぱり東京の夏は暑いのだろう、2匹して家を脱出、日陰の風通しのいいところにそれぞれ避難をしている。 べったりとアスファルトに横たわるハンコを家から5mと離れていないところで見かけた。 「おーい、ハンコ。涼しいのかい?」 話かけても首を少し傾げるだけでよってもこない。 「なに?」 とだけ言われた気がしてそれ以上は何も聞かなかった。 部屋に戻るとソナももういなくて弟にハンコを見かけたことをいうと、仕方ないようち暑いし。 といういつものことだよという返答だった。 最終日、午前中から3時間ほど、汗だくになりながら掃除をした。掃除機、雑巾掛け、ホコリをはたいて、などなど。 帰りのバスの中で、部屋の掃除ありがとう、それは本当にありがとうというメールがきた。 掃除せずにはいられないほどだったからね..... でも二日間は高校時代の友人のご実家にお世話に。 南木曽にも去年GWに来てくれて、阿寺渓谷にいったり、蘭をぐるりとしたり、一緒にごはん作ったりしたミハル。 お土産のワインとチーズと干しイチジクが絶品で、二人して話も止まらないからワインもおつまみも全部平らげてしまった。 そんな彼女と奇跡的にお休みが合って仕事帰りに会うことになった。 ご飯を食べて、家で飲もうということになって、去年お土産で買ってくれたチーズ屋さんで、おつまみを物色。 お店のお兄さんが太っ腹で気になるチーズを次々と試食で手渡してくれ、結構値の張るものまで食べることができた。 それにしてもなんでチーズってこんなに美味しいんでしょう。 チーズと熟成生ハムとワインを買って、帰路へ。 帰り道から人生についての議題が持ち上がり今回ももちろん話が止まらない。 私と彼女は高校の2年生のクラス替えで2年B組になった時からの付き合いだ。 私たち二人は背格好が似ている。クラス替えして間もない頃、同じクラスの男子に名前を間違えられたこともあった。 調子に乗った私たちは二人して服を限りなく似せて登校したこともある。 混乱させようと企んだということだ。 その時どういう格好をしたのかは、覚えてないけれどとにかく、楽しいいたずらだったなぁというワクワクした気持ちだけが共通の思い出だ。 まだまだ思い出の引き出しを開けるとたくさん出てくるけれど、時は戻って、あの頃から17年も経ってしまった。 それぞれの人生を歩んできて、不器用な二人の歩みは、何かを捨てて、でもまた拾って、の繰り返し。 損しているよね、と言われてしまうだろうことにもそれでもそうやって来たからにはもうそれで行くしかないよね。と向き直す。肯定している訳でもなく、皮肉でもなく、羨ましく思うのでもなく、見つめ合う感じなのだろうと振り返って思う。 夜、肩並べて歩いて話せることになんだかホッとするのである。 次の日は、とりあえずお参りしたい。と言う私の希望で東京大神宮に。でも、ここ縁結びの神様だよ。数年前、職場の同僚の子にさらりとここの神社のお守りをもらったことがある。ご縁がありますように。でも、そのお守りあまりご利益なかったような気がする。その日は七夕で、特別なご祈祷があるのか、長蛇の列だった。その横をすり抜けて通常の参拝をした私たち。おみくじも引いたら、大吉。とても良い句が書かれてあった。 「桃桜 花とりどりに咲き出でて 風長閑なる 庭の面哉」 長閑な庭の美しい花の咲き匂って春の盛りの楽しい様子に上吉の運にむかいます けれど油断せずに信心して行い正しく些かも不義の楽しみに身を過たぬ様にせよ で、転居に関して、時を置け。そうなの? 商売に関して。ひそかにすれば吉。え、、、それはどうやってするの? 何か少しクエスチョンマークが頭に浮かぶけれど、総じて大の吉なんだから忍耐強く頑張ろう。 今年は試練の年、と言うことはもう間違いないのだから。 でもね、お願いです。神様。 頑張ります、 だからみんなと一緒に楽しく元気に幸せに過ごさせてください。 国立新美術館のジャコメッティ展。
胸が苦しくなった。 ジャコメッティの芸術にかける苦悩が、 「対象物を見たままにつくること。」 その永遠の問いに向かう苦悩が、 私にも伝わってきた。 答えの出ない問いに向かっている。あぁだからなのか。 もっともっと削ぎ落として何度も何度も描き重ねて、だからあのシルエットが出来上がったのか。 比べられないけれど、ジャコメッティのその姿に自分を重ねる人はいると思う。 もっと究極の問いに向かって、シンプルなものにしたいと思う。 わかっているのです、でも私はここまでシンプルになるまでに時間がかかってしまう。 甘やかしているかもしれないけれど。 でも人生の長い時間をかけて向かうということには変わりはない。 東京の日々の締めくくりはそんな気持ちで終わりました。
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