クライミングを始めて、1年ともうすぐ9ヵ月が経つ。
でもまだまだ成長できてない感が否めない。。 それでも、毎回体の使い方とか意識の持ち方とか、できない!とか言わない、とか、いろいろ学んで終わることが多い。 だから次はもう少し登れるように。あー、体軽くならないかな。ふわりと行けたらいいのにな。 ふと、次のワークショップで使おうと思って試作した「GOOD LUCK」金槌でデティールをつけて、ちょっと岩っぽいよね、と言っていたら。隣で「GOOD ROCK」てどう?との声が。おぉ、クライマーのいうことは違う。さらっと出てくるシャレがまたセンスが光ります。 ということで早速に作ってみました。これ「V6とか、7b+とかもいいかもね」なんて、さすがだね。 わたしは、「Red Poinit」とか「Onsight」とか 「GANBA」とかいいなーと思っている。 かわいいじゃないですか、あと「Are Are」とかね。「Come on!」もいいかな。 ちょっと考えだすと楽しくなる。
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私は今年の3月まで南木曽町で地域おこし協力隊として仕事をして、住んでいました。 任期が終わってもそのまま住み続けるつもりでしたが、今はお隣の中津川市の阿木というところに住んでいます。良いことも悪いことも両方とも一度にきて私はこの半年間ずっとてんてこ舞いだったように思います。 自分の身に降りかかったことをうまく処理できずに、そして少しショックがあると殻に閉じこもる性格のために思っている以上に苦しかったように感じます。もうあんまり覚えてないというのが正直なところです。南木曽町というところは、私が初めて東京以外の場所で住むことになった土地です。ずっと東京から出たかったというのがあって、山登りが好きで自然に囲まれたいと思って、自分の力でもう少し身の回りのことを構いたいと思って、一番には鍛金を続けていくための制作場所を求めていました。そんな時、地域おこし協力隊という仕事を知り、南木曽町に応募したのがきっかけです。縁もゆかりもありません、ただそこが伝統工芸があるところで、なおかつ長野だった、から。伝統工芸がある場所なら私のような鍛金をしている人も受け入れてくれるのではないか、と思ったからです。ただそれだけで、今まで一度も訪れたことのない南木曽町に移住することにしたのです。 そんなきっかけで3年間南木曽町に住みました。たくさんの人と出会い、友達もできました。信頼できる人もできました。あまり若い人と知り合う機会がなかったから私はおじいちゃんおばあちゃんと仲良くなりました。地区の人にはどれだけお世話になったかわかりません。なんで今更こんなことを書いてるのかふと思います。懐かしいと感じて書き始めてしまったけど、今回はそんな協力隊時代に立ち上げた「なぎのこマルシェ」が開かれたことを書きたかったんだ。 今回も無事に成功で終わったマルシェは、実行委員となったママさんたち、協力隊が中心となっています。出店も南木曽町の方がたくさん。あーほんとうに素敵なマルシェだったなと、きっと少し離れたところで参加したから思うのかもしれない。地域おこしについて考える、外から人を呼びこむことで活性化につながるって思っていたけれど、町の人たちが楽しむこと、充実すること、作り上げること、が何よりだ。と実感したイベントでした。伝統的なお祭りもあるかもしれない、でも男の人が中心で女の人はなかなか参加できない。でもなぎのこマルシェの中心は女性だ。確保できる時間が少ない中、でも時間をマルシェのためにつくって準備をする。日常に仕事が一つも二つも増えたことになるけれど、それが励みや張り合いにつながっていくのならと思う。私も今までとは違う生活をスタートさせたからなおさら思う。力仕事や呼びかけやいろんなこと、やっぱり男手が必要なこともたくさんあって、でもツーカーで通じる仲間同士で作り上げてるからそこに気負いはあまりない。しょうがない、やってやるよ!の気持ちでやってくれる。長年の連れが言うことなら、と。 まだまだたくさん写真があるけど、これって我が子を愛する親みたいなので割愛です(笑)
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